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1200号 実力主義は通用するか

2017年01月22日(日)

 今日の新聞(福井新聞の「識者評論」)に、米TPP離脱と中国―本命は一帯一路構造という遊川和郎・亜細亜大教授(アジア研究所)の評論が出ている。
 中国は、アメリカ(1月20日からのトランプ政権)と同様に「自国中心主義」であり、外交関係も「話し合いによる解決」を主張するが、これは「武力行使の回避」のみを意味しているというよりは各国と個別協議(通商)で問題解決に当ろうとしている。「1つのルールに従って動く世界」を苦手として、中国はその都度の話し合いにより、利益を最大化する方が好都合なのである。TPPの挫折はこの点でも歓迎なのだ。このように述べる。
 したがって「日本を含めた国際社会はルールに基づく国際秩序構築のために監視を強めなければならない」と主張する。(2017.1.8<13>面)
 また昨日の新聞は、米次期大統領が日本・トヨタのメキシコ新工場進出に異議を唱えており、アメリカの他二社もすでに縮小を余儀なくされているようであると伝える。
 さらに奇怪な話として、本日の各紙一面には、残りわずかなオバマ政権が、CIAの報告書で、去年の大統領選において「プーチン氏の指示」によって、インターネットニュース(ロシアRT)配信などを行い、クリントン氏を中傷するサイバー攻撃を仕掛け大統領選挙の当落に影響を与えようとした、との記事が載っている。
 この種のニュースは、世界史的にはかつてビスマルクの陰謀電報といった諜報活動を思い出す。そうなると大国間はもちろん、大国は小国に比べて何をするかわからない、何をしても解明も追及もありえないという疑心暗鬼が生じる。この種の戦争類似のルールなき常識(非常識)が通用してしまう国際社会となっては困る。こうした力は小国にとっては虚偽が真実となり対抗もかなわなくなる。各国がまた類似した心理や行動にとらわれる。
 正月早々から不安定な国際情勢や相変らずのテロ事件が報じられるにつけ、数千年にわたり世界史は少しは進歩しているのかどうか疑問が出てくる。
 モンテスキューは『ローマ人盛衰原因論』(1734年)の中でさまざま以下のように言っている。彼の意見に習えば、二千年以前の時代の精神構造や倫理感は我々と遠いと思ったとしても、人間としての利害や恐怖の感情、政治闘争の力学には類似点が見出せるということになる。モンテスキューは歴史の進歩よりも、歴史上の事件の類似性、人間行動の類型化をとらえる思想家のようだ。
 「現代の歴史もわれわれに、かつてローマで生じたことの実例を示してくれる。そしてこれがかなり注目すべきものなのである。なぜなら、人間はどんな時代においても同じ感情をもっているので・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大きな変化をもたらすきっかけは多様であるが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・原因は常に同じであるからである・・・・・・・・・・・・・・・。」(第1章、傍点小生、以下同じ)
 またローマの宿敵であった地中海対岸のカルタゴについて、ローマとの比較において国制、国民感情の違いを述べている。
 カルタゴは・・・・・ローマよりずっと早く富裕になり・・・・・・・・・・・・・・・またずっと早く堕落した・・・・・・・・・・・。……カルタゴでは、公共体が個々人に与えるものはすべて売物になり、個々人によってなされたすべての奉仕に対しては、公共体から給付があった。……古代的習俗、すなわち貧乏を潔しとする慣習は、ローマにおいて財産をほとんど平等な状態にした。しかし、カルタゴでは・・・・・・個々人が王ほど財産を有していた・・・・・・・・・・・・・・・。」(第4章)
 「カルタゴでは支配的勢力であった二つの党派(拙注 大商人門閥派と下層公民・ハンニバル派の対立)のうち、一は常に平和を望み・・・・・・・・・他は常に戦争を求めた・・・・・・・・・・こうして・・・・この国では・・・・・平和を享受することも・・・・・・・・・・戦争をやり抜くことも不可能であった・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(同)
 そのほか、ローマ人(ローマ帝国)の超大国としての恐るべき戦略と実力主義が描かれているので、以下に抜すいをする。
 ローマ人は・・・・・敵に対して想像もできないほどの禍悪をもたらしたので・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・彼らに対抗する連合が形成されることなどなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。というのは危険からもっとも遠ざかっている者が危険に近づくことを望むはずはなかったからである。」
 「こうしてローマ人は、戦争を仕掛けることはめったになかったが、自分たちの側からは常に・・・・・・・・・・・都合のいい時に・・・・・・・都合のいい仕方で・・・・・・・・都合のいい相手と戦争をした・・・・・・・・・・・・・。」
 「ローマ人は、決して誠実な講和を結ぼうとせず・・・・・・・・・・・・・・・、その条約は、あらゆるところに侵入するという意図において、もともと戦争の一時停止にすぎなかったから、その中には、条約を受け容れた国家の破壊につながる諸条件を常に含ませていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 「ローマの同盟国という資格は一種の従属関係を意味したけれども、それにもかかわらず、大いに求められた。なぜなら、侵害は・・・ローマ人から来るだけであると信じられ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ており、これによって、より少なくなると期待できたからである。こうして、この資格を得るために、諸民族や王たちは、どんな奉仕をも進んで行なったし、また、いくらでも腰を低くした。」
 ローマは、相手の君主国に対して、ローマの同盟国と同盟を結ばせなかったし、他方でローマはまた相手君主国の同盟国と勝手に個別に同盟を結んだ。以下に書かれているのはやや分りにくいが、この意味であろう。
 「大君主たちを常に弱体にしておくため、ローマ人は、自分たちが既に同盟関係を結んでいる者と、これらの君主が同盟関係に入ることを認めなかった。その一方、彼らはある強大な君主の近隣諸国のいずれにも同盟関係を拒まなかったので、講和条約の中に含まれたこの条件によって、その君主には同盟国が全然残されないことになった。」
 「ある君主がどこかで征服をした場合、大抵はそれで精力を使い果しているのだが、ローマの使節がたちまち現われて・・・・・・・・・・・・・・・彼の手からその獲物を取り上げた・・・・・・・・・・・・・・・。」
 その一例として挙げられるのは、BC169―168年にアンティオコス・シリア王がエジプト(プトレマイオス朝)に侵入し併合しようとした事件。ローマ使節のポピリウスが早速現われてアンティオコス王と会見し、この王の周囲の地面の上に小さい円を描き、王が撤退を決意せずに円外に踏み出すならローマは宣戦布告する、と言葉だけで脅しつけて王をエジプトから追い出した、という史実が挙げられている。
 「ある国家になんらかのもめ事が生じた時、ローマ人が直ちに問題を裁定した。彼らには、その際、自分たちが非とした側しか敵対者とならないという自信があった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 「ローマ人は、時には、自国語の諸表現の微妙さを悪用した」あるいは「ローマ人は、条約に恣意的解釈を与えさえした」。
 例えば、ローマ人の下に「誠意に身を委ねる」という約束をしたアエトリア人に対し、この「言葉の含意は、あらゆる種類の物品、人身、領土、都市、神殿、さらに墳墓さえもの喪失である、と言い放った」―というようなよく知られた史実がある。
 「これが征服のゆっくりとしたやり方であった。一つの民族を征服すると、彼らを弱めることで満足する。ただ、彼らを知らず知らずのうちに侵食してゆくような条件を押しつける。もし彼らが反乱を起せば、それまで以上にその力を殺ぐ。そして、この民族は・・・・・いつ服従したかわからないまま臣下となっているのである・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 こうしてローマは、本来的には王国でも共和国でもなく、世界の民族から構成された身体の頭部であった。
 スペイン人も、メキシコとペルーの征服の後、このやり方に従っていたならば、すべてを保持するためにすべてを破壊するというような無理をしなくて済んだことであろう。
 あらゆる民族に自分たちの法律や慣習を押しつけようとするのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・征服者の愚考である・・・・・・・・・。それには何のよいこともない。なぜなら、どんな統治形態の下でも・・・・・・・・・・・服従することはできる・・・・・・・・・・。」
(以上の諸引用は、すべて第6章「あらゆる民族を服属させるためローマ人がとったやり方について」から)
 モンテスキューは、それならローマ人が相手国の制度を容認する彼らの統治構造と比べて、これとよく似た後代の封建制のヨーロッパ諸国が永続的でも強力でもなかったではないか、という反論があるかもしれない、と断って、それは「一言で説明すれば、前者は力の作品・・・・であり、後者は弱さの産物なのである」と結論づける。

(2017.1.8 記)