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1201号 英語学習ノートのすすめ

2017年01月22日(日)

 聞くことと話すことの間には、そこに投入されるエネルギー量にかなりの差があることを思わねばならない。
 日本人の外国語(英語)の学習において、リスニングとスピーキングの間の能力差が大きいのはそのためであろう。聞くことは受動であるが、話すことは能動であり、前者は消極的な行為であり、後者は積極的であるからでもある。聞くことは受容的であり解釈的であるが、話すことは一般に創造的であり構築的だからである。
 いずれにせよ言語は時間をかけてだんだん上手くなるものだから、上達の速度をできるだけ早められるよう応援する教育でなければならない。
 間もなく小学校からも英語が始まる予定だから、子供たちにとって苦手な長い時間と忍耐の意味を自分で知り、またその間にあっても進歩の実感を悟らせなければならない。
 そのためには一案として、子供たちに自分の英語学習発達ノートを持たせて、すべてこのノートに学習上の疑問や訓練の状況などすべてのことがメモされて、自分の学習の発達具合がふり返るとわかるようにした方がよい。そうすれば、途中で学習がいやになったり、あきらめたりしなくなるのではないか。登山にも似た学習の道のりを手段を尽して自覚させ、鳥瞰できるように指導し、励まさなければならない。
 したがって話すことが聞くほどには上達しないことを、英語はとっても難しいのだとか、自分の努力不足だとか先生の教え方が悪いせいだと、直ぐに早合点することは禁物であると言わねばならない。ともかく時間と労力がかかると覚悟しなければならない。

 毎日新聞の「今週の本棚」(2107.1.8)の書評の中に、「哲学する子どもたち―バカロレアの国フランスの教育事情」(中島さおり著、河出書房新社)という小さい書評が出ている。
 日本と比較して、互いに無いものと有るものとの違いが大きくて、入学式も卒業式もないフランスの小学校では、音楽室も理科室もなく、家庭科もない。算数教育は日本の方がよいという評価である。
 しかし中学校ではがらりと変って、まず英語教育がはじまり、「話せるようにすることで、日本のように文法に重きを置かない」、第二外国語も中学3年目から、第三外国語もある。高校に入ると、バカロレアを目標にした教育になる。試験科目は多く、受験科目と高校の勉強が一体化している。その中心は「哲学」であり、歴史は現代史がくわしいetc。
 著者はパリ大学で学び、夫はフランス人だそうで、自分の子供たちの体験や保護者会の役員の経験などから書かれた本のようだ。
 ともあれフランス語の国であるから、英語の文法は自国と似ているので余り気にする必要はないであろうし、第三外国語もよく似た言語かもしれない。英語と系統の最も遠い日本人の子供ほど厳しい学習条件にはないであろう。

(2017.1.8 記)