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イッセイエッセイ

1208号 だんだん

2017年03月26日(日)

 年を重ねてくると春秋に富む若い人たちに比べて、将来がないことに希望を失うかもしれない。

 ローマ時代のキケロは『老境についての対話』において、さまざま問題をとりあげてローマ人的なあれこれの理屈や自己の老人としての心境を、彼の時代から百年前の監察官大カトーと二青年スキピオ、ラエリウスとの対話の形式を借りて述べている。
 「人間一生の他の場面々々が自然によって上手に書きあげられてゐるのに、最後の一幕だけがあたかも不精な劇作家がするやうに、粗略な扱ひを自然の手からうけるなぞとはどうもありさうにないことである。」(第2章)
 書棚から取り出したこの文庫本、読んだ日付のはじめが9.3.4とあるから、ちょうど20年前ということになる。もし2019年なら'9(それなら10年余り前になる)としたであろうから。また記憶的にみてもきっとふた昔前に読んだものであろう。その中の自分で線を引いた最も初めの部分の箇所の一つが上記のところである。
 さらにこんな傍線の文章もある。
 「スキピオよ、ラエリウスよ。疑ひもなく、老境の最もふさはしい武器は、諸德についての學識と實踐とであり、それらが一生を通じて涵養せられるとせば、人が長く生きてきたといふばかりでなく、あまたの事をやってきたといふ場合、驚くべき果實をむすぶものである。なぜならば、決してそれらは人を見捨てることをせぬ、一生の最後の瞬間に於てさへせぬ。而もそれは實に最も大切なことなのである。尚そればかりでなく、善くすごされた處の生活の自覺と、善くなされたあまたの行爲の思出とはまたとなく悦ばしいものであるから。」(第3章)
 この文庫には買ったときの(?)カバーがついていて、張子の虎のデザインの付いた虎ノ門書房と印刷されている。カバー見返しにコマーシャルが入っていて、“和田アキ子さんがゴキゲンなのは、市外電話でトクシタからです”という日本高速通信の宣伝が、彼女が白い受話器を耳にした写真といっしょに載っている。東京大阪間が330円→280円とも書かれている。この一時代過ぎてしまった世相から見ると、やはり20年以上前に買った文庫なのだろう。また栞には筑摩書房のものが挟まっている。「学校Ⅱ」、山田洋次監督が撮った北海道の高等養護学校の先生と生徒たちの交流を描いたもの、とある。松竹系にて10月19日公開、しかし月日でなく何年かが印刷されていないのは、いつかわからずなんとも不都合なことである。西田敏行の若い笑顔がのっているのでやはり20年は前のものなのであろうか。
 このカバーの表紙面には又、青のボールペン字でメモが書かれており、これは自分の感想なのであろうか、“一本道で幸せや成功をうんぬんすることはよくない”。さらにカバー裏の反対側にも、これは鉛筆で番号が振られて、音楽の歌手グループ名と曲名が書かれているが、一体何の意味で書かれたものであろうか憶えてもいない。
 ①シャランQ/ずるい女、②ドリームズ・カム・トゥルー/ラブ・ラブ・ラブ、③(歌手名なし)、④ハローアゲイン/(同)、⑤チャンスtoチャンス/(同)、⑥シャランQ/single bed、⑦グローブ/ディパーチャーズ、⑧スマップ/俺たちに明日はある、そして岡本まりや/tomorrow、カーペンターズ/トップ・オブ・ザ・ワールド、スピッツ/ロビンソン、とんねるず/ガラガラヘビがやってくる、ミスチル/名もなきうた、酒井法子/青いうさぎ、とメモしてある!!??
 艶歌(流行歌)が入っていないので、紅白歌合戦の出場歌手グループ名ではなさそうである。実に何のことかさっぱり記憶もない。文庫の内味とも無関係である。日常と「哲学」の大いなる分裂、日々の雑然の徒過と価値を付すべき大事な記憶との混在(?)である。
 大いに脱線して話題から外れてしまったが、冒頭の一文に戻る。
 年を経るにつれて「経験」は深く積み重ねられ、一方で残りの生きる年数は少なくなってゆくという関係については、シェークスピア的な“多いは少ない、少ないは多い”という人生の逆説、経験の多少と、寿命の長短の関係をいかに考えるか。
 経験といっても雑事の中に馬齢を重ねるでは仕方なく、麗しとしても、少女老いやすく芸なり難し、では希望がない。
 数日前の看護協会の懇談会で「マドンナ」という話題が出て、かつてマドンナ旋風というものを土井元議長が政治的に起こしたのは、彼女が61歳のときであるということをスマートフォンで調べて、このことを言ってくれた人がいる。75歳からが高齢者(1月5日、日本老年学会と日本老年医学会が提言を発表)というのもあながち行き過ぎでもないかと思ったのである。又話が横に外れてしまった。
 つまり人が年齢を重ねてゆくということが、年々すこしずつ大事なものを失っていく、と観念するのではなく、経験を蓄積することであり、周囲に対して役立つように振舞うことにならなければならない。湯川秀樹博士が、年をとるにつれてますます知りたいことが増えて来て困っている、知らなかったことの理由や意味がわかると面白い、というような趣旨のことを著書で述べておられたのは、きっとそのことではないだろうか。

(2017.2.5 記)