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イッセイエッセイ

1209号 上 shàng

2017年03月27日(月)

这(Zhè)(zhāng)(zhuān)() 你()  已()(jīng)(tīng)(guo)(le)(ma) 90
     目的語  主語     述語
  このアルバムはもう聴きましたか。
 この文は、語順が文法的に通らない。しかし「这张专辑」は目的語であり、文頭に特出しして倒置強調している。通叙は听过の次に続くべき名詞的目的語である(と欧米語の例によって観念してよいものかどうか?)。

(Zhǔ)(yào)(de)(chā)(bié) 在(zài) 收(shōu)()(de)(xīn)()(shang) 27
      主語    述語
  主な違いは、収録されている新語にある。
 この一文は、あること(主語)がどこどこに(場所)在る、という文章である。一般にモノがある所にアルという構文ではあるが、この文では抽象的なコトガラ(主な差異)が、どこにアルかという点を述べるものであり、漢文的な構造の文である。
 問題は末尾の「上」である。日本人としては、この語は中国語としてもいらずもがなな余計な感じを与える。
 中国語の辞書をみると、この「上」は名詞や動詞として巾広い使い方がある。中国語の文法では、不思議なことに名詞であり前置詞や後置詞ではないのに、名詞のさらに後に置いて、物に対してその上や表面を表す(英語のonに似たようなところがもちろんある)、あるいは一定の範囲を、またある方面・分野を表す、と解説されている。
 例として、桌子上zhuōzi shang(テーブルの上に)、墙上qiáng shang(壁に)、世界上shìjiè shang(世界において)、会上huì shang(会議では)、教学上jiàoxué shang(教育の面で)などである。
 このように中国語では、あるもの(ことがら)が何処にあると表現しようとするとき、日本語の「てにをは」に相当するものの一種として「上」が使われる訳である。
 では「上」がないとこの文は間違いなのか、という点になるとそう厳密ではないらしい。最後にこの一語が付かなくとも、意味はあまり変らないというのが中国ネイティブの説明である。
 現代の日本語にも伝来の漢文構造が和文として混入しており、たとえば、教育に問題があると言うが、教育面に問題があるとも言う。そして教育上問題があるといかにも中国語的にも言い(教育上に問題があるとも言えない訳ではない)、この日本語の「上」は中国語の「上」にまさに当るのだろう。

(2017.2.25 記)