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1210号 江戸は下町

2017年03月27日(月)

 吉川英治の「新編忠臣蔵」(全集第13巻 講談社)の中に、例の松の廊下の内匠頭刃傷の一件の後、吉良上野介が呉服橋の邸から、隅田川をわたった本所松坂町の旗本松平登之助の屋敷跡へと屋敷替をする場面がある。
 旧邸の通用門から、目立たない姿で吉良上野介と嫡男の吉良左兵衛佐が至近の河岸につけた伝馬船までの僅かのところを家臣に守られて船に乗り込むのである。その船道中には、警固の艀舟だとか、川番所、大川、両国下の横堀、一つ目橋といった、あの辺りの江戸期の風景や地名が出ている。
 小説を読んでこういうシーンが実際存在したかどうかの詮索はとにかく、江戸は水の町であり、場所は下町が中心なのだと覚ったのである。江戸の交通や都市計画についてみると、武家層の消費活動は江戸湾から陸側のいわゆる山の手方向にあったらしいのだが、大事な生産に係わる流通は水路と海が中心であり、時代劇の場面設定も、今ではややさびれた(最近はスカイツリーなど復興気味だが)下町ゾーンにほとんど展開していた本当の理由がわかった気がしたのである。
 そして江戸の風景は、関東大震災後の東京とは全く違い、水の都であり、船の交通であり、湊の街であったということである。
 それにしても大江戸八百八町の物語は、橋や川や舟はよく出てくるがいずれも脇役である。本当は主役であったはずだが、そうはなっていない。
 気になってシリーズ日本近世史④「都市―江戸に生きる」吉田伸之著(岩波新書2015年)を見ると、第二章「南伝馬町」、第五章「舟運と薪」(江戸の物流インフラと燃料)のところなどに、そうした見方の「江戸は水都であった」との記述がある。なおこの新書は、社会=空間構造論、身分的周辺論、分節構造論(集団、ネットワーク、つながりなどの相互関係から全体が構成されるという論)という三つの方法により、江戸期の江戸をとらえようとしている試みであるが、新書の限界か史料に接近しすぎていて、江戸の概観把握にゆるやかさが欠けるきらいがあるように感じる。時代小説の方が江戸の風景がわかったような気がするのは吉川英治の筆力か?

(2017.2.25 記)