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1212号 いろいろな「忠臣蔵」

2017年03月27日(月)

 大佛次郞の「赤穂浪士」は昭和2年(1927年)に東京日日新聞夕刊に連載されたものだそうだ。大佛が書いた新聞小説としては二作目で「照る日くもる日」のすぐあとである、と「あとがき」に記している。
 そこでの文章によれば、「正面切った歴史物を書くには、講談の連載から離れたばかりの当時の新聞小説ではまだ読者に向かわなかった」と達観しながら、私の「赤穂浪士」は新聞小説としては失敗の方と述べている。(「大佛次郎時代小説自選集」第3巻 赤穂浪士 昭和45年 読売新聞社)
 赤穂浪士たちの復讐事件が、すなおに元禄の快挙として信じることは同感できないとするのであり、いわゆる「忠臣蔵」のタイトルではないのである。
 大石内蔵助は忠義を貫くように見えながら、公儀への大がかりな造反行動によって封建的な道義の紛争の下に、堂々と道徳的に演じて見せて、幕閣の精神的信条を震撼させた、という考えだと作者は言うのである。
 架空の人物である蜘蛛の陣十郎、堀田隼人が舞台廻しのような形で、赤穂事件の本筋のストリーと代る替るに登場するのだが、谷崎潤一郎は、この小説は二つの筋がしっくり融け合っていないと批判したと筆者は記している。
 西園寺公望は、昔の武士はあんなものではなかったと当時意見を述べていることを知って、自分の大石内蔵助は現代人である、と敢えて言っている。
 なお有名な真山青果の「元禄忠臣蔵」(昭和9年~16年まで新歌舞伎として11作)が、この作品の十年前に出ている(212号 実は忠臣蔵、672号 吉良屋敷考 参照)。同じように古い時代の作品としては、野上弥生子「大石良雄」(大正15年)があり、こちらの大石は「等身大」の人物として描写されている(541号 なにわ節だよ 参照)。
 大佛次郎の作品からさらに十年近くあとに、吉川英治の「新編忠臣蔵」(1210号 江戸は下町)が世に出ているが、作者の気風の違いによって、両者の読後感は同じ事件を扱っていても噴囲気はことなる。
 大佛の「赤穂浪士」はかつて大河ドラマにもなっているが、いかにも小説的で男女の関係や感情がうまく描かれ、吉川英治のは叙事的であり、登場している代表的な義士たちの映像が明瞭であり、細かい部分に作者の知識が入れこんである。両者とも読者の涙を催させる場面が数ケ所あり、とくに内匠頭夫人である瑤泉院ようぜんいんの立ち振るまいを描写したところは、時代劇風にそれぞれ胸を打たせるものがある。

(2017.3月 記)