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イッセイエッセイ

1213号 意味づけ

2017年03月27日(月)

 人間はものに対しても、ことがらに対しても、とかく意味づけをする癖をもっている。つまりそういう生き物である。しかも生きて行くうえで、意味づけをしなくてすむものにまで意味づけをしたりして、余計に感情を動かす。
 今夕はやや早目に仕事を終えて帰宅したのだが、3月も半ばになりだんだん日脚も伸びる。まだ西の山陰に陽は沈んでおらず、雲も春のように真白ではないが春に近づいて、1つひとつの形がまとまって空のすき間が広くなって来ている。
 しばらくすると日没をむかえる太陽の前面に、かなり場違いに大きい灰色がかった雲の塊が動いて、光を隠して又雲の周囲だけがオレンジ色の明るい輪郭を作って輝いている風景が出来上った。雲の形が逆光の中でいかにもはっきりしているので、何かの形になっているという意味づけをする心持ちになった。鯨か恐竜かさては他の何かか、といった調子である。気分が比較に緩んでいるのでそうした瞬間が生まれたものと思う。
 そして、明里橋を右前方に眺めて左折する交差点にさしかかったとき、前方に7―8階の茶色のマンションを認めた。こちらの方はいつも眼中に入っているはずなのだが、まるで初めて在るものを見るような心地がした。見てもおらず意味づけの行為がないのである。
 人間の習慣による、その一瞬にしか存在しないものへの意味づけ、いつも存在しているものへの無関心…。

(2017.3.17(金)夕 記)