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イッセイエッセイ

1250号 「ポリアーキー」の基準は統治戦略として有効か

2017年07月16日(日)

 時の政府に対する「批判者」たちが、自由で公正な選挙を通して政府に対抗することを目論んだときに、眼前には公然かつ合法的に政党を組織することが不可能な体制が存在している場合、「批判者」たちがその不可能を可能とする体制へと変革するためには、果してどういう条件が有利に働き、他方、どういう条件が不利なものとして妨げになるか。このような問題を分析するため、政治学者ダールは『ポリアーキー』を著述したと同名の本書の冒頭で述べる。(『ポリアーキー』第一章 民主化と公然たる反対 7頁)
 以上のことは、「民主化」と「公然たる反対の発達」という二つの過程をめぐる政治問題を提起するのだが、ダールは学問的な方法論としてはそのこと自体の内容をせんさくする道をとらない。いちおう、「民主主義という用語を、完全に、あるいはほぼ完全に、すべての市民に責任をもって答えようという特性をもった政治体系」と定義したうえで、民主主義の実際の存否を問題とすることなしに、現実の様々な政治体系を比較してゆく際、極限状態の理想としての民主主義、これを仮説的政治体系として役立たせる。
 本稿ではこの本の途中にある内容部分、第2章~第10章は略し、最後の第11章 補遺――<変化の戦略のための示唆>について、ダールの語るところをみるのが応用論としては分かりやすいので、そうする。
 この最終章では、現にある抑圧体制を「ポリアーキー」――実在する比較的に民主化された各国の体制――に変えるために、政権側あるいは政権に対抗する改革者が、戦略として採用する際に、「ポリアーキー」に係わる基準のいくつかが、より直接に行動に結びつく助言として役立つかまた役立てられるか、といった観点に立って問題を論じる。つまり圧政を政権の内と外から民主化するのに、本書に示す「ポリアーキー」の指標がどのように役立つか、を原論に加えて応用論として提示している訳である。
 そして政府の内外にあって改革と革命、統治機構や反対勢力の秘密の一員として活動する際、「権力の獲得や使用方法の助言」という即効面では、この本はまったく役に立たない、とまずそっけなく限界を言う。しかしながら、本書の議論が「ポリアーキー」に近づくための直接の「戦術」に関しては役立たないのだが、戦術の選択を支配する「戦略」のレベルではいくつか役立つ内容があるとする(やや妙な主張ではあるが、すぐに具体的な役立ち方まで期待してはこまる、と言っているのだろう)。
 以下、それらの部分の抜萃ないし要約。

政治活動のための示唆
 <棚卸し>「()()()()()、歴史と国民の現状によってその経路におかれたあらゆる障害物を乗り越えて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」(334頁 傍点小生、以下同じ)、「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、今日の世界的特徴だからである」(335頁)
 「混合体制の下で、高度に有利な構成図をもち、かなりの競争政治の経験のある国では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」(336頁)
 なお前章(第10章 理論)のとこで、ポリアーキーの成立に有利な条件として、7つの基準(と小項目)すなはち、(1)歴史的展開(2)社会経済的秩序(暴力・制裁、経済形態・農・商工業)(3)社会経済発達段階(国民所得)(4)平等と不平等(5)下位文化的多元性(6)外国権力の支配(7)政治活動家の信念(正当性、権威、信頼、競争・協調・妥協)を挙げ、これらをチェックして自由化、民主制への移行の容易性を判断することができるとしているところである。この点検のことを、<棚卸し>と邦訳されている若干奇妙な言葉で表現しているようだ。
 <相互保障>敵対者に対して、寛容さと、破壊や極端な強制・厳しい打撃を与えないという保障により、寛容化のためのコストの引き下がり、相互の保障の追及が可能となる、これらが自由化の戦略につながる、とする。
 <行政権>議会の独占的な正当性を強調する19世紀型の代議制民主主義に対し、弱い従属的な行政府(行政権)というのモデルがポリアーキーにとって必要(伝統的な見解はそうである)かというと、20世紀の現実は必ずしもそうではない、と言う。教訓として、行政権の独立性があまりに弱くなると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、逆に抑圧的支配への支持を呼び起こすことがあり(いくつかの国に類似例があるという)、逆説的で複雑、てごわい問題を生じさせる、とする。
 <分裂の阻止>「しかし『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。・・・・今まで見てきたように、()()()()()()()()()()()()であり・・・・大規模な下位文化的分裂があるところではどこでも、古典的な二大政党のモデルは不可能である。――たとえばカナダ、南アフリカ、インド、ベルギー、オランダ、スイス、レバノン、(拙注――執筆当時のことである)をみよ。・・・」(343頁)
 つまり「競争政党が過度に分裂してゆけば、寛容のコストは高くなるので、自由化の戦略は、政党の細分化をさける政党政治の体系を探求する必要がある」(342頁)、ということではあるが、
 「国民の要求の表現と統合のために()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(347頁)
 政党政治(二大政党)と選挙制度の関係に確たる定説はなく
 「一世紀にわたる議論の中で、一人選挙区による複数選挙より、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()1()()()()()()()。」(346頁)
 「しかし()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()1()()であり、この社会工学的可能性を拒否することは、医者が、あまり乱用されているという理由で、抗生物質を拒否することと同じことのように思われる。」(345頁)。しかし「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」(347頁)
 一般に政治論で通用している考えと、実証的に各国の事例を数量的に基準化して比較分析した場合とでは違うことを主張しているのである。
 <地方政府>地方自治が自由化の促進にとって有効だという、ダールのいわゆる“プラグマティック”な説明であり、日本の憲法と自治制度との関係にとって参考になる。
 「国家の段階より下位の自治的代議制度によって、反対勢力は、政治資源を獲得する機会をえ、また分裂を統合し、衝突を解決したり、代議制政府を運営したりする技術を訓練することができるので、寛容への戦略のために、国家より下位の代議政府を発展させる方法を探求する必要がある」(348頁)
 「抑圧体制――とりわけ統一された抑圧体制の下では、高位の段階、特に国家的段階でよりも、国家より下位の段階で自由化に向かって大きく踏み出すほうが賢明だろう。たとえば、反対勢力が地方自治体の選挙へ参加することを認めれば、反対勢力と政府の両者を社会化するのに役立つだろう。より小さな代議制の単位は、抽象的イデオロギーとの関係の薄い、具体的でわかりやすい問題を解決する訓練になる。このような具体的な問題に直面することによって、国家的政治の場では敵対する諸グループを統一できるかもしれない。さらに国家以下の水準で反対の権利や特権を拡大しても、それは1つの試みとして取扱うことができるから、現職の国家的指導者にとってはそれほど脅威にならないだろう。もしその試みが<失敗>したら、元にもどすことができるのだから。」(348-349頁)

  •  (拙注――地方自治に対するアングロサクソン的見解を、ダールはポリアーキー化のための戦略として明瞭的に記述している箇所であると解釈できようか。数日前(7/2)の都議選における政権政党の敗退が、政権運営にどう影響するかといった意味と、ダールのいう中央政権と地方政府との戦略的関係を整理したうえで理解することは役立つかもしれない。

 最後にダールは、注意深い読者がと言って、「自由化の戦略における重要な要素は、すべて最も堅固な代議制民主主義のよく見慣れた側面であることを見出しても、それほど驚かないことと思う。」と訳す。
 「すなわち、衝突するグループ間の相互保障、さまざまな利害や要求に対応する諸制度に従う強力で果断な行政、分裂的でなく統合的な政党政権、国家より下位の段階での代議制政府」、これらはすべて民主主義の要素なのであると種明しをする。(350頁)

 

(2017.7.4 記)