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イッセイエッセイ

1258号 歴史資料

2017年07月29日(土)

 戦争が、なぜ、勃発したのかの原因を究明することは、歴史家にとっても勿論、現実を扱う政治家にとっても極めて重要なことである。
 ヨーロッパを中心とした第一次大戦の起源について、また第二次大戦のそれについても、昔から研究はなされてきたようだ。しかし第二次大戦の起源については、第一次大戦に比べて新しい歴史的事実であるにも拘わらず、究明ないし確定が一層困難らしいのである。
 両戦間は四半世紀しか経てないのだが、さまざまな戦争にまつわる資料の有無やその分量、信憑性など、おそらく関係する国々や関係した人たち、通信や情報の急速発達などの違いから、第二次大戦の方が一層複雑多岐となって簡単には調査や研究が行き届かなくなっている結果かとも思われる。
 しかも第二次世界大戦の原因をヨーロッパにおいては多くをドイツのヒットラーのせいにし、単純化してしまって詳細な議論に関心が及ばなかったことや、戦争終末期における資料の焼却や廃棄などが行われたこともそれ以前の戦争とは大きく異なるのであろう。このことは、第一次大戦以前は戦争が主として君主国の政争に過ぎなかったものが、以降は国民国家間での総力戦になり、当事者に戦争結果についての負いきれぬ責任や裁きが下るという新しい国際環境も背景にあるものと考えられる。
 第二次世界大戦のナチスの資料は多く失われ、ニュールンベルグ裁判の限られた証拠資料も偏りがあると言われている(テイラー「第二次大戦の起源」)
 今日(海の日7月17日)の日経新聞には(コラム「春秋」)、映画「日本の一番長い日」によせて、日本軍の機密書類が、大量に燃やされた場面のことが書かれている。戦争責任を逃れるためだったと、当時の内務省関係者が内幕を証言しているとも書いてある(一部焼却を免れた文書は米国務省へ、のちに防衛省研究機関に戻る)。1週間ほどの前の他紙のコラムにも、殆んどよく似た記事があったが、いま話題になっている学校法人への国有地売却にからむ交渉記録などに関する国会議論に話をむすびつける意味もあるようだ。
 このコラムは「公文書は民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であるはずと公文書管理法を引いて主張をしているが、問題の根本は文書の話しではなく、偏った仕事振りの是非そのことであろう。

(2017.7.18 記)