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1262号 大都市集中を抑える因子とは

2017年08月26日(土)

 「島に隔離されると、サイズの大きい動物は小さくなり、サイズの小さい動物は大きくなる。」――(本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間』から)。
 上記の文章は『折々のことば』鷲田清一からのものである(今日のコラム 朝日新聞 2017.8.12)
 氷河時代、大陸では大きなマンモスがのし歩いていた。しかし、孤島ではゾウは仔牛ほどに、ネズミは猫ほどのサイズに、段々となったそうである。餌の不足で捕食獣が減ってしまい、動物が身を護るためにより大きくなったり、物陰に隠れるために小さくなる必要がなくなった。つまり哺乳類が「無理のないサイズ」に戻ったのだ、と動物学者の本川達雄が推測していると紹介しているのである。
 そして選編者の鷲田先生の方は、「グローバル化は生きものには適さないということか」とコメントする。
 ではグローバル社会における捕食役の猛獣や禿鷹は、一体どこの何者であるかという話になるのだが、この点の穿鑿は別の機会にゆずらねばならない。ここでの関心は別のところにある。
 つまり以上のような話題から、ダーウィン的な適者適応の原理を、生き物の生態とはやや離れて(あるいは都市を生き物とみなして)、大都市と地方にかかわるテーマに議論を拡大できる可能性と説得性はないかという関心事なのである。
 つまりグローバル化によって地政学上の隔離というものが少なくなり、地球上の日本というこれまで「孤島」にあった大都市(首都)と小都市(地方)について、大きさが前者はさらに肥大し、後者が縮小しているのではないかという類推的な仮説である。
 かつて明治期には、江戸から東京へとこの種の環境変化が起り、戦後には再度よく似た現象が発生し、21世紀に入りグローバル化によって大都市トウキョウに本格的な集中が起こっているという仮説である。
 江戸期の三百年近い泰平は、基本的に反グローバル主義、鎖国的な国土構造であったから、現在から比べると江戸幕府と三百諸侯からなる分権的な国の形を維持でき、江戸が大きい都市であったといっても、政治、経済、文化などの面で今のような極端な一極集中ではなかった、と見なしてみるのである。
 さて、数日前の日経新聞(2017.8.5)には、『セレンゲティ・ルール』という進化発達生物学者のショーン・キャロルが著したという本の書評が載っている(総合研究大学院大学学長・長谷川眞理子・評)。ヒトが絶え間なく行っている経済活動も、言ってみれば生物間の相互作用の一つであり、競争、密度、サイズの影響など、このセレンゲティ・ルールというものに当てはまるのではないかと評するのである。
 たくさんの生物の数の決定など、生物全体に働く制御の法則には普遍性があって、ある量Aに対して増加させるように働く要因Bと、逆にこのBを抑える要素Cが存在して、Aが正常に保たれるという現象のようだ(アフリカのセレンゲティ平原の有蹄類の個体数の研究に由来して、このルール名がとられている)。
 一読を要する本なのだが、とりあえず書評レベルとしては、大都市の人口(A)の増加を促す要因(B)と(この要因Bの方は、そんなに不明瞭なものではない)、これらを抑制する要因(C)が必ず存在すると仮定して、果たしてそれ(C)が何なのかが問題となる。人間の世界のことだから、自由放任のままで抑制因子が自然に生まれて押えに働くとも思えないのであり、その何かであるC因子を発見し、且つまたCに対し、社会的な機能を発揮させる方法を考え出すことが必要となるのである。
 とりあえずは近づく地震による被害因子、個化社会因子などの課題解決のための不適応因子が考えられるが、なお根底に達するものではない。

(2017.8.12 記)