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1275号 外交の陥穿──第二次世界大戦の外交史(3)

2017年10月17日(火)

 「米内海相と山本次官等は一様に陸軍案に反対であった。それは三国同盟条約は、『下手に行けば国連を賭ける問題で、海軍としては地域的の問題でも何でもない。実際に国防の責に当れるか、当れないかの問題である』という考慮からであった。東京政界の空気は三国同盟で紛糾をつづけ、内閣の運命もいつ倒れるかわからない状態で、後継指名の噂も出ていた。」(117頁)

(2017.9.10 記)


 ここまで読み進めて、著作全体の一割に来たばかりであるのに、どうも先を読むのに嫌気をおぼえる。変えあたわざる物語を読むことの面白なさか、そればかりにはあらず。可能な限りの歴史事実を調べあげ、それにもとづき自分たちの歴史に反省と評価を加える必要がある。第一次大戦から第二次大戦そして現在に至る百年史を十分に研究し尽していないという問題点を感じるからであろうか(歴史修正主義という勿れ)。
 本書は既に記したように、昭和34年に刊行されたものの新版(岩波文庫化 2015年)であり、解説(下巻カバーの文章)には「外交官から政治家に転出、戦後は首相を務めた著者は、優れた外交史研究家でもあった。国際政治への透徹した分析と、今後の日本外交が学ぶべき教訓と途が提示される」と宣伝的に書いている。しかしながら今や確たる近現代史の外交・政治の歴史書物がもっと多く世に出てしかるべき時期なのに、多くが観念的イデオロギーにみちている。したがって直ちにそこから教訓の提示というのは安易すぎる。我々の父祖たちが経験したぎりぎりの折衝や葛藤の姿が見られぬのは遺憾なのである。このように敢えて記した上で、気持ちをとり直して次に進まねばならない。

(2017.9.16 記)


 こう書いて直後、「対中外交の蹉跌――上海と日本人外交官」(片山和之著)という短い書評を読んだ(2017.9.17「今週の本棚」毎日新聞)。現役の上海総領事が歴代の外交や現在の日中関係を考察した本のようだ。書評によれば、著作は資料を集めて調べ得られた日中戦争の反省として「(外務省は)専門性や人的ネットワークを持った陸軍に太刀打ちできず、国民層の理解を得るための努力を欠いた」ことによる失敗だった、また今の中国に関しても、多層的でバランスの取れた研究と調査・分析が必要であり、各分野のハード・ソフト両面の日本の先進性や独自性、魅力を世界に示し続け、中国とは差別化を図ることが重要と強調しているらしい。要するにそういうことだとは思う。

 以下はつづけて、本書において重要な「考え方」とみられる部分をできるだけ引用することとし、事実関係のところは要約的にまとめる(小文字)。
 芦田均は戦前、外交官から政治家になった人だが、この著書を見る限り、上記のように外交は何をしていたのかの感がある。

<第6章(3)アメリカは通商条約を破棄す>

 平沼内閣は、南西太平洋にあるヨーロッパ植民地領を攻撃するのに適した基地となりうる場所を占領(1939年2月に香港・シンガポール間の海南島の占領、同年3月にマニラ西南1,100kmのスプラットリー珊瑚礁諸島の主権を主張)。日本が同地域の争奪戦に乗り出そうとする兆候だと受けとられた。グルー駐日大使は、ハル国務長官に日独間の接近の交渉を報告、ハルはグルー大使に対し、外交の陥穿にかからないように、また「ドイツと結びつかないように日本政府に警告する権限を与えた」。また日本に対し「米国がイギリスの立場に密接につながっていると見えるような言葉を絶対に避けるように命じられた」。
 ここに言う外交の陥穿にかからない、とはどういうことだったのか。

 「それゆえグルーは、もしアメリカが日本に対して重要原料を禁輸し(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)あるいは禁輸すると威嚇して(・・・・・・・・・・・・・)一挙にことを決しようとするなら(・・・・・・・・・・・・・・・)日本はわれわれに盾つくであろう(・・・・・・・・・・・・・・・)と警告した(・・・・・)。この勧告は紛争の渦中に入りたくないというアメリカの支配的な意向に合致していたので、注意ぶかくワシントンで守られた。」(118-119頁)

 警告とは本国政府にたいして、の意味であろう。

 「その頃中国に交戦中の日本軍の行動は米英の世論を刺激する如き事件をつぎつぎに惹起した。あるいは天津のイギリス租界に打撃を与え、これを追い立てようとしたり、あるいは重慶を爆撃していた。そして爆弾の一部は、アメリカ外交官の住宅や揚子江に停泊中のアメリカ砲艦テュテュイラ号の近くに落ちた。しかしながらアメリカ政府は、太平洋において、またヨーロッパにおいて、アメリカを戦争にまきこむ可能性のある措置をとることには、なお慎重であった。」(119頁)

 そのころルーズベルト大統領は、中立法を修正し、交戦国に対する米国製武器の輸出をできるようにしようと目論んでいた。これがアメリカの安全と平和維持に寄与するものだということを国民に納得させたかったので、日本との紛争を拡大することに態度保留をとった一つの理由であった。しかし、武器売却は参戦の糸口になるという、連邦議会の反対論にぶつかった。

 「そうはいってもアメリカ国民は、心中ひそかに二つの対策(中立法の修正と日本に対する共同制裁案)に好意をよせていた。そこでハルは、枢軸側の同盟国としての日本の価値をおいおい減らすことになるような手段に訴えようと考えて<1939年の>7月26日、日米通商航海条約の破棄を通告したのである。6か月たてはアメリカは、日本との輸出入貿易を自由に統制または停止しうることになった。これをするまえに、ハルは随分長く考えたのであるが、その後の議会における反日感情の様相が、もっと重大な手段に訴えようという気をハルにおこさせたのである。」(120頁)

 条約破棄の通告は、「日本にとっては寝耳に水であった」。条約が失効するとどうなるのかを知ろうとして、日本政府は懸命の努力をした。
 ハルは「私は日本側にどんな暗示も与えないように注意した。私の考えでは、わが方の最善の戦術は、日本側が勝手に憶測するのに任せることであった。こうすれば日本側は、中国における我々の権利や権益の言語道断な蹂躙が、かれらをどういう立場に置きつつあるかについて感ずるに至るかも知れなかったからである」という記録を残している。こうした対応の仕方は、いかにもアングロサクソン流である。
 又このあたりの芦田均の記述ぶりが、朦朧として緊迫度が弱いのは気のせいか。この書の初版の次年(1960年)は日米安保条約の改訂年である。
 コーデル・ハル国務長官(1871~1954年)は、開戦直前、日米交渉に過度に強硬な姿勢をとって交渉が決裂する原因をつくったといわれる(東京裁判におけるパール判事の言である)。国連憲章の起草の故をもって1945年にノーベル平和賞を受賞しているのは歴史的皮肉か。
 同じ今日(2017.9.17毎日新聞)の「今週の本棚」に、「学生を戦地へ送るには――田辺元『悪魔の京大講義を読む』」、という佐藤優著のセミナー記録が書評として出ている(橋爪大三郎・評)。
 田辺元の昭和14(1939)年の大学講義録「歴史的現実」を、すぐれた知性をまとった戦争イデオローグとして、その手口に「耐性」を付けておくことが大切というのが著者佐藤氏の主張のようだ。
 「個人は種族を人類の立場に媒介するものであり、そこに個人の任務がある<…>個人がなし得る所は種族の為に死ぬことである。<…>」etcの田辺のイデオロギー。こうした主張を批判し、歴史に学ばなければ同じ過ちを繰り返すと著者は書いているようだ。なお佐藤優は、ハル・ノートを日本が受け入れていれば、対米戦争は防げたと言う説であり、それにより中国から撤退し、満州国の承認を取り消し、日米は中国の権益を放棄し、三国同盟を有名無実化すれば可能であった、との考えであることが書評からは読めるが、著作に直接当る必要がある。
 評者は、上記の考えはそう言われればその通り、どれも問題があったとは思えない、海洋国家日本が大陸国家として行動して米国と対立してしまった、文化や歴史に疎い今も変わらぬ指導層の癖である、と評す。さらに評者は「いま、近隣諸国と歴史問題を抱え、国内には安直な歴史修正主義を叫ぶ声があがる。過去の歴史を踏まえ、未来を見すえる知性がひ弱だ」と結ぶ。
 新しい資料や既存資料の読み直しにより、歴史を絶えず評価することは重要である。最近の何んでも有りの世界を前にして、イデオロギー用語であるリヴィジョニズムなどと投げ合っているだけでは済まないことが問題なのであり研究を要す。
 ここで外交は一度intermission.

(2017.9.17 追記)