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イッセイエッセイ

1278号 音と文字について

2017年11月15日(水)

 それぞれの国語の音と文字(綴り方)をできるだけ一致させる努力は言語的には大事なのであるが、言葉は生き物であり歴史があって周辺との交渉があって変化もしてきているので、たえず発音と書き方の不一致が生じる。
 私たちが学ぶ外国語は大体が英語であり、しかも、学校で何年も学ぶというやや独特な教育環境に置かれているので、英語の正しいスペリングについては実際的な関心を抱いている。
 身近な例では1<ワン>がなぜoneなのか、ナイフがどうしてknifeなのか、島<アイランド>がislandなのはなぜか、しばしば<オーフン>はoftenであるなどなど、限りがないのである。そして日本人は学習上の苦労と迷惑をこのスペリングの分野においてネイティブ以上にこうむっている。
 「スペリングの英語史 Does Spelling Matter?」という本(サイモン・ボロビン著2013年 早川書房2017年 堀田隆一・訳)を手にした。文字通り手にした程度で、ざっと眺めて訳者あとがきの各章の要約を読んだ程度なのである。したがって本書の内容そのものにくわしく言及することにはならない。
 この著者は中世英語つまりチョーサーの時代の英文学の専門家であり、オックスフォード大学の英語学教授である。もっとも本書が英語のスペリングを効率よく学ぶにはどうしたらよいかとか、スペリングの独習の仕方をアドバイスする本でないことを断っている。
 無秩序で不規則の代表のように思われている英語の綴りつまりスペリング大系の今日そのようにある歴史や背景を述べている。そしてその背後にあるスペリングの原理を理解すれば「暗記がずっと簡単で納得いくものとなる可能性があります」と日本語版への序文に寄せて考え方を述べている。しかし本書を読んで英語のネイティブのみならず(もともとそのための本である)英語学習中の日本人の悩みとかモヤモヤを氷解させられるかどうかはわからない(熟読玩味はいるだろうから)。
 ホロビン先生は本書の一番最後の節文のところで同趣旨の結論を述べる。
 「最後に、私には、英語のスペリングの改革の試みに抵抗し、伝統的なスペリングや黙字などを保持しようとするもう一つの理由があるように思われる。そのようなスペリングは我々の言語とその歴史の豊かさを証言するものであることだ。この意見は、実用的な目的をもたないために正当化するのは難しいほうの主張なのだが、現代英語と過去の英語とのつながりを保つのに役立ちはする。もしスペリング体系が過激に改革されてしまったら、現代英語の話者にとってチョーサーやシェークスピアの作品を読むことが難しくなるのは間違いない。黙字は、以前に失われてしまった発音、しかし長く豊かな遺産を誇るスペリング体系に保存されつづけている発音を無言で伝える証人なのである」(上記書第8章スペリングの現在と未来 279頁から)
 では日本語における音と綴りの関係はどうかといえば、ストレス型の言語である英語とは異なり、日本語は和歌を三十一文字と呼ぶようにシラブル型の言語であるから、基本的に音と文字が対応していて、同じ一つの音に異なる文字(仮名)が使われることはほとんど例がない。いわゆる「歴史的仮名遣い」を受け継いだものとして「は」「を」「へ」の助詞や、「はなぢ」「みかづき」「基づく」などが表音式仮名遣いに対する例外となる程度である。もっとも漢字に限って言えば漢字特有の使い方として音と訓があり、一つの漢字が異なる仮名遣いで発音されることがあり、また熟語の形で全く当て字のようにして別音で発音されることもある。例えば、今頃の季節の紅葉(もみじ)、簡単な一画の字では、一人(ひとり)、一寸(ちょっと)、一日(ついたち)、一昨日(おととい)など。しかしこれは上述のように表意文字としての漢字の読み方(使い方)の日本語に特有な問題としてのバリエーションであって、発音に対応させて文字をどう綴るか、という意味において表音文字の英語スペリングないし日本語仮名の問題とは次元を異にする、と考えた方がよいであろう。

(2017.11.11 記)