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イッセイエッセイ

1279号 人間とは何か

2017年11月19日(日)

 ユヴァル・ノア・ハラリという名のイスラエル人の歴史学者(オックスフォード大学)が書いた「サピエンス全史」上・下(2011年出版 柴田裕之・訳 河出書房新社 2016年)を一読した。
 「人類はあっという間に頂点に上り詰めたので、生態系は順応する暇がなかった。そのうえ、人類自身も順応しそこなった。地球に君臨する捕食者の大半は、堂々たる生き物だ。何百万年にも及ぶ支配のおかげで、彼らは自信に満ちている。それに比べると、サピエンスはむしろ、政情不安定な弱小国の独裁者のようなものだ。私たちはつい最近までサバンナの負け組の一員だった。自分の位置についての恐れと不安でいっぱいで、そのためなおさら残忍で危険な存在となっている。多数の死傷者を出す戦争から生態系の大惨事に至るまで、歴史上の多くの災難は、このあまりに性急な飛躍の産物なのだ。」(サピエンス全史 第1章 (2)思考力の代償 24頁)

 火の使用――外敵防御、森林の草原化、最大の恩恵としての調理(雑食化、脳の巨大化)etc――
 順応できぬままに生存しているという現代人類とは、一体どういう生き物なのだろうか。

 全く別の本であるが、「進化の教科書」第1巻(カール・ジンマー/ダグラス・J・エムレン著2013年 講談社ブルーバックス2016年)によれば現人類の生物界に与えた影響を人類の進化の視点から描いている。
 すなはち、これまでに知られている生物種の大量絶滅は、地球上で五回あり(ビッグ5)、人類の諸活動により次のビッグ6に向け多くの生物種が絶滅に追いやられるという。この本に引用されているアンソニー・バーノスキーという学者は、このままの状態なら数百年後にはすべての種の75%が絶滅するだろう(生息地の消滅、病気、大気組成の変化など)という。同書(進化の教科書)から一部抜萃してみよう(第3章-7、226頁)
 「しかし考えてみれば、目の前に起きている大量絶滅を心配する必要が本当にあるのだろうか。結局のところ絶滅は、生物にとって避けられない現実なのだ。地球の生命は、今まで何度も大量絶滅を経験してきた。そして生物は、その度に回復して、多様性をさらに高いレベルまで到達させたのである。とはいえ人間中心的な立場からは、大量絶滅はやはり深刻な問題なのだ。」、「しかしまだ間に合う。自然界に対する私たちの影響を変更する時間は、まだあるのだ。大進化から得た知見を、行動の道しるべとすることもできるのである」
 話しを「サピエンス全史」にもどす。
 「約7万年前から約3万年前にかけて、人類は船やランプ、弓矢、針(暖かい服を縫うのに不可欠)を発明した。芸術と呼んで差し支えない最初の品々も、この時期にさかのぼるし、宗教や交易、社会的階層の最初の明確な証拠にしても同じだ。ほとんどの研究者は、これらの前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力に起こった革命の産物だと考えている。<…>その原因は何だったのか?それは定かではない。もっとも広く信じられている説によれば、たまたま遺伝子の突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わり、それまでにない形で考えたり、まったく新しい種類の言語を使って意思疎通をしたりすることが可能になったのだという。」(『サピエンス全史』第2章 虚構が協力を可能にした 35-36頁)

 脳の発達はヒトの進化における重要な適応であったという思想が、人類が唯一ヒト族の中で生きのこった理由の説明である。(同じく上記の『進化の教科書』から第4章-6 282頁)

 「サピエンスはこのように、認知革命以降ずっと二重の現実の中に暮らしてきた。一方には、川や木やライオンといった客観的現実が存在し、もう一方には神や国民や法人といった想像上の現実が存在する。」(『サピエンス全史』同49頁)
 「私たちの祖先は自然と調和して暮らしていたと主張する環境保護運動家を信じてはならない。産業革命のはるか以前に、ホモ・サピエンスはあらゆる生物のうちで、最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ記録を保持していた。私たちは、生物史上最も危険な種であるという、芳しからぬ評判を持っているのだ。」(同第4章 史上最も危険な種 100頁)
 「過去2000年間に家畜化、栽培化された動植物にめぼしいものはない。私たちの心が狩猟採取民のものであるなら、料理は古代農耕民のものと言える。」(同第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇 105頁)
 「農業革命はなぜオーストラリアやアラスカや南アフリカではなく、中東と中国と中央アメリカで勃発したのか?その理由は単純で、ほとんどの動植物は家畜化や栽培化ができないからだ。<…>農業や牧畜の候補として適したものはほんのわずかしかなかった。それらは特定の地域に生息しており、そこが農業革命の舞台となったのだ」(同106頁)
 「平均的な農耕民は、平均的な狩猟採取民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ<…>犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのでなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ」(同107頁)

 この説明は機智に富んでいて斬新に見えるが、狩猟だけでは生きられなくなったことによる人類の「発展」の当り前の事実であり、果たして特別な結果のことを言っているのであろうか。

 「もくろみが裏目に出たとき、人類はなぜ農耕から手を引かなかったのか。一つには、小さな変化が積み重なって社会を変えるまでに何世代もかかり、社会が変わったころには、かつて違う暮らしをしていたことを思い出せる人が誰もいなかったからだ。そして人口が増加したために、もう引き返せなかったという事情もある。」(同116頁)
 「歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。」(同117頁)
 「典型的な農耕民はその構造物に対して、非常に強い愛着を育んだ。これは広範に影響の及ぶ革命で、その影響は建築上のものであると同時に、心理的なものでもあった。以後、「我が家」への愛着と、隣人たちとの分離は、以前よりずっと自己中心的なサピエンスの心理的特徴となった。」(第6章 神話による社会の拡大 (1)未来に対する懸念 131頁)
 「ところが農業革命のせいで、未来はそれ以前とは比べようもないほど重要になった。農耕民は未来を念頭に置き、未来のために働く必要があった。」(同131頁)
 「近代後期まで、人類の9割以上は農耕民で、毎朝起きると額に汗して畑を耕していた。彼らの生み出した余剰分を、王や政府の役人、兵士、聖職者、芸術家、思索家といった少数のエリート層が食べて生きており、歴史書を埋めるのは彼らだった。歴史とは、ごくわずかな人の営みであり、残りの人々はすべて、畑を耕し、水桶を運んでいた。」(同132頁)
 「歴史上の戦争や革命の大半を引き起こしたのは食糧不足ではない。フランス革命の先頭に立ったのは、飢えた農民ではなく、豊かな法律家たちだった。」(同章 (2)想像上の秩序 133頁)
 「古代メソポタミアの都市から秦やローマ帝国まで、こうした協力のネットワークは『想像上の秩序』だった。すなわち、それを維持していた社会的規範は、しっかり根付いた本能や個人的な面識ではなく、共有された神話を信じる気持ちに基づいていたのだ。」(同135頁)
 「中世の文化が騎士道とキリスト教徒の折り合いをつけられなかったのとちょうど同じように、現代の世界は、自由と平等の折り合いをつけられずにいる。だが、これは欠陥ではない。このよう矛盾はあらゆる人間文化につきものの、不可分の要素なのだ。」(第9章 統一へ向かう世界 205頁)

 自由と平等の両立が未解決のままの矛盾であるという主張は、現代国家における政権と反対党派の対立の根源にある。

 「歴史は統一に向かって執拗に進み続けていることが歴然とする」(同章206頁)

 あまり耳にしたくない響きがこの主張には含まれている。

 「貨幣は物質的現実ではなく、心理的概念なのだ。貨幣は物質を心に転換することで機能する。」(第10章最強の征服者、貨幣 223頁)
 「これまで考案されたもののうちで(・・・・・・・・・・・・・・・)貨幣は最も普遍的で(・・・・・・・・・)最も効率的な相互信頼の制度なのだ(・・・・・・・・・・・・・・・・)。」(同224頁)
 「貨幣がコミュニティや宗教、国家というダムを崩すにつれ、世界は一つの大きい、非常に無慈悲な市場になる危険がある。」(同232頁)
 「人類の統一を純粋に経済的な道程として理解することはできない。歳月を経るうちに、何千もの孤立した文化がまとまって今日のいわゆる地球村(グローバル・ヴィレッジ)を形成するに至った経緯を理解するには、金銀の役割を考慮に入れなくてはならないが、それに劣らず極めて重要な武力の役割も、決して無視できないのだ。」(同232頁)

 経済と政治の関係、そして後者の優位を言っているか。

以上(上)巻

 「科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる。イデオロギーは研究に費用を正当化する。それと引換えに、イデオロギーは科学研究の優先順位に影響を及ぼし、発見された物事をどうするか決める。」(第14章 無知の発見と近代科学の成立 (6)科学を気前よく援助する人々 89頁)
 「日本が例外的に19世紀末に既に西洋に首尾よく追いついていたのは、日本の軍事力や、特有のテクノロジーの才のおかげではない。むしろそれは、明治時代に日本人が並外れた努力を重ね西洋の機械や装置を採用するだけにとどまらず、社会と政治の多くの面を西洋を手本として作り直した事実を反映しているのだ。」(第15章 科学と帝国の融合 (1)なぜヨーロッパなのか? 98頁)
 「ヨーロッパは、近代前期の貯金があったからこそ近代後期に世界を支配することができたのだが、その近代前期に、一体どのような潜在能力を伸ばしたのだろうか?この問いには互いに補完し合う二つの答えがある。近代科学と資本主義だ。」(同99頁)

 意図的な産学連携が、現代社会にイノベーションを起し、世の中を便利にし発展させるという思考は最新の(以前とは違って)産業政策においては一般に受け入れられており(大学の側では若干の懸念も感じているが)、この傾向は加速している。

 「生物学者の主張によると、私たちの精神的・感情的世界は、何百万年もの進化の過程で形成された生化学的な仕組みによって支配されているという。他のあらゆる精神状態と同じく、主観的厚生も給与や社会的関係、あるいは政治的権利のような外面要因によって決まるのではない。そうではなく、神経やニューロン、シナプス、さらにはセロトニンやドーパミン、オキシトシンのような様々な生化学物質からなる複雑なシステムによって決定される。」(第19章 文明は人類を幸せにしたのか (2)科学から見た幸福 226頁)

 遺伝子還元主義、いわゆる利己的な遺伝子論、そして再び、精神や主体と言われてきたものの無力化、唯物論化に到達する考えであろうか。

(2017.10.14 記)