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イッセイエッセイ

1280号 方角と距離

2017年11月29日(水)

 南北かそれとも遠近か、つまり人間にとって方向性と距離感の意識は、基本的な重要性をもっている。この両者を統合的に判断できなければ、出発しても目的地への到達は期待できないことになる。
 香港からの帰途、これまで平穏に飛行していた飛行機が好天気にもかかわらず急に揺れはじめ、なかなか動揺がとまらない。不思議なことだと思って窓をのぞくと、青い鋭角の山脈のような形が雲と一緒に見える。機内のナビゲーションのマップを合わせて眺めてわかったのだが、丁度いま台湾を斜めに北東に向って横切っているのであった。おそらく台湾海峡から台湾本島の山嶺に向って西風の気流がぶつかり上昇しているのではないかと想像した。
 さらにそれら山脈の向こうに目をやると、はるかに遠く、淡青い島のようなものが二、三か所平たく見えるのである。地理の知識から、これはおそらく沖縄列島の最南部の島々を、西南の方向から遠望しているのだと思いながら、なぜか不思議な気持ちを抱いた。
 それには二つの原因があるのだろう。一つはわが日本の領土が台湾を超えた向こうの海上はるかに望めたこと、もう一つは日頃の地図感覚とは異なって沖縄の島々が台湾の西側からみて真正面に一直線に連なっているということ、こうした事情によるものであろう。
 ここで本題に戻るのだが、人間にとってより直観的なものないし現実的と言ってもよい地理的な感覚は、客観的な南北東西の方向性よりも、ともかく自分の置かれている場所からどの程度対象に直線的に近いか遠いか、つまりその先に何があるかという点が優先するのだと感じたのである。尤も非常に身近な範囲の地理は距離の方には関心は向かず、風水学のような場合は方向性や互いの位置に感覚が鋭くなるのやもしれぬ。そして特にこの感覚は、広い範囲の場所の遠くのものに対して働くのではないかと思ってみた。地図上の島の配置は客観的に上から眺めるものであり、一方、機窓からみた台湾本島と沖縄島嶼部の位置は一種の目的をもった意図的な視線なのである。
 魏志倭人伝の中には、楽浪郡から日本の国の各地点がどんな方向と旅程上にあるか記された有名な箇所がある。これにからんで邪馬台国が九州なのか近畿地方なのか、昔から学説上の対立があるようだ。どうやら古代の人たちも方向性よりも次の場所への最小エネルギーで到達できる一直線の距離の方に関心を向かせてしまったと見るべきで、方角の記述はあまり当てにならないのではないかと思われる。史書の記述が相違っているのではなく、方向性の方は自己中心のままでさして正確性は気にならず、不正確になったと言った方が実際ではなかったかと思われる。
 いつ頃からそうなったのかは知らないが、地図の上が北で下が南という方式は、太陽の動きなどからして自然の感覚から来るものかもしれないが、絶対のものではなく昔の絵図には色んな種類のものがある。江戸城下の地図にしても一応南北になっているようにも感じるが、城を中心に文字が印刷されていて、一方向からみれば文字が斜や逆になり方向感覚に統制がとれていないのである。そうなると現代版の地図こそ、地理的な表現についての1つのパラダイムにすぎず、これだけの方位図に頼っていては柔軟な発想がさまたげられるやもしれぬのである。

(2017.11.17 記)