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イッセイエッセイ

1283号 教育の旅路

2017年12月21日(木)

 教育において、教師が生徒より絶対的にすぐれている点すなわち教師たるゆえんは、一体どこにあると思うべきであろうか。
 こういう当たり前の問いを発するとややソクラテス的な問答になってしまう。しかし、教育のことをよくよく考えようとする時には大事なことかと思うのである。
 教師と生徒の学習や運動あるいは技能の潜在的な能力を比較するようなことは全く意味のないことであろう。それでは教師の優位をどこに求めるべきか。
 つきつめてゆくと結局のところ、それは大人と子供の差、経験を積んでいるかそうでないかの違いに帰着せざるをえないことになるであろう。
 そこで更に今、このような教師と生徒の違いを教室という場所で分かりやすく追ってゆくならば、それは教師の方が毎日の授業や各々の単元そして全体として受け持っている教科について()()()()()()()()()()()()()というソクラテス的な当たり前の事実に行きつくことになるであろう。
 昔のことわざ「可愛い子には旅をさせよ」に喩えるならば、もちろん生徒は日々これ新たなりだが、大人の先生の方もまた、年々歳々教えている事柄について教師としての旅をともにしているということである。
 それではともに学ぶという視点に立つならば、子供たちの一大旅行において、教師は先人として何に注意を向けるべきなのか。
 まずは旅行計画を子供たちも自分と同じように()()()()()()()()()()()()()()()()()であろう。或いは分かってはいてもこのことに決して無頓着ではいないことであろう(この重要な事実を忘れないことである)。
 次にこの長い旅行計画をタイミングよく旅程や行き先など一定範囲においてあらかじめ子供に理解できるようにすることである(教育技術に係わることであり、訓練がなければ巧拙が生じる)。この旅行は楽しい事ばかりではなく厳しさも伴うであろうから、心構えをともに一緒にもって、子供たちを慰めたり励ましたりすることがいるのである。
 いずれにしても教育の基本は、子供たちに時と場所を選んで、彼らに見晴らしを与えねばならないのである。

(2017.12.9 記)