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イッセイエッセイ

1285号 「自然科学としての言語」

2017年12月21日(木)

 チョムスキー氏の生成文法を扱った日本側の研究者の本である。内容は性質上まとめにくいので略せざるを得ない。生成文法の理論そのものも、かなりの未完成品なところがあるからである。
 それはともかくも、著者をふくめて言語学者たちが強い関心の下に、真実を究明しようとしていることはよくわかるのである。それを荒っぽく要約するならば、おそらく次のようにまとめられるのではないかと素人ながら思うのである。
 人類(ヒト)が言語を用いることができるようになったのは、彼らがアフリカの大陸を出てユーラシアをはじめ地球の各方面に広がってゆく過程での五、六万年前のことと見られている。言語中枢にかかるヒトに生じた突然変異が、さまざまな進化のプロセスをたどって、現在のような言語使用と発話が可能となったというのが最近の説なのである。
 このことはホモサピエンスである以上、地域の文明度にかかわりなくどのヒトたちも、ある言語というものを母語として必ず習得できるのがヒトとしての特性なのだという。そしてこれは事実である。ではそれはなぜなのか(本書では、ヒトは先天的に複数のネイティブスピーカーにもなれると述べてある)。
 ヒトが幼児期までに必ず母語を習得できるのはなぜなのか。また地球上にそれぞれ沢山の言語が多様な姿で存在するのは又なぜなのか(多様性があると考えること自体が正しくないのかもしれない、という点も問題としてあるのである)。
 どの言語でも習得可能なのだから、きっとヒトに固有の言語のための「普遍的」な文法が存在するはず(これも仮説である)であるが、その原理はどういうものか。文法の原理と発話の機構は別物なのか、また互いに関連があるのかないのか。文法の原理(統辞体系)は頭脳の生物としてのエネルギー消費の最小性が必要と考えるとき、単純で効率的なメカニズムでなければならないはずだが、それは一体どういう仕組みから成り立っているのかetc.
 これらはどれも研究途上のままであり未解明なのである。ここから少なくともわかることは以上の意味での言語研究は、「文系」ではなく「自然系」の言語学であり、大脳生理学であり、進化論であり、数学(演算)であり、コンピューターであり云々となって、発展途上の仮説と証明の研究分野なのである。

     参考図書
       自然科学としての言語   福井直樹(大修館) 2001年
       新・自然科学としての言語 福井直樹(ちくま学芸文庫)2012年

(2017.12.16 記)