【トピックス】

青少年福井106号に掲載されました。

学校を楽しく

 青少年の健全育成にはいろいろな対策が必要と思われる。
ここでより基本となる観点を述べたいと思う。
それは「学校を楽しく」というテーマである。
小中学校の子ども達が、最近の県調査で学校を大体において楽しいと答えているのは、一つの救いである。
なぜなら、青少年の非行いわゆる問題行動といわれるものが、主として学校や家庭を楽しくないと感じるところから生じてくると思うからである。
先生が熱心だ、学校に行くと友達に会える、給食がうまい、授業が面白い等々、子ども達が学校を楽しく感じることは極めて大事である。
世の中に楽しいことばかりある訳ではない。
また人生の試練も必要である。
しかし教育における無用な苦痛は少なくしなければならない。

 「べんきょう」がもう将来の全てでないことは大人たちもよく分かっている。
しかしとりあえず勉強という風潮が依然としてある。
まだ未来の夢を見つけられないでいる間は構わないが、テスト勉強が何はともあれ一番大事であるという錯覚に陥らないことが必要であろう。
それは最終的には子どもの幸せにならず、むしろ子どもの将来をつみ取ることにもなりかねない。
また学校が面白くなくなる原因にもなるからである。
学校は学ぶ所であり、家庭はしつけを身につける所であるという基本は当然として、では子ども達は学校で一体何を学ぶべきなのであろうか。
興味をもって楽しく学べる学校とは何か、という問題である。
泳げた、自転車に乗れた、縄跳びができた、逆上がりができた。
これらは子どもの頃に身体で覚えた印象的な思い出であり、成功体験である。
こうした類いの一つひとつの積み重ねが自己を作り上げていく。
それぞれの子どもの適性に合った、身体と一体となって離れない体験こそ教育に求められることになろう。

 子どもの数が少なくなり、かつ人の一生はますます長くなっている。
これまで以上に教育の社会的な価値が大きいのである。
子ども達がその個性に応じて学校生活の中で何か一つでも打ち込めるものを見い出すことが必要である。
じっくりその何かを生涯の初期の段階で追求することは、子ども自身にとっても社会にとっても有益である。
これを手助けすることこそ学校や先生の大きな任務である。
選択の幅が広がっている時代である。
学校は子どもの適性に応じて活躍の場、自信の持てる分野を子どもとともに学び、見つける場である。このことが青少年の健全育成を支える基盤となる。
 教育ほど難しい技術はないのである。
ゆとり教育とつめこみ教育の論議も、つまるところ学校やスポーツなどの教育技術を向上させることによって、そのギャップを埋められると考えるのである。
そして、その技術の背後には、大人の熱意というものがなければならない。

 私がこれからの学校にとって必要と考える次のようなこと、例えば、指導技術の向上対策、話せる英語教育、小人数学級化、コミュニティスクール(学校ごとに実態に合った運営)、学校冷房などは、学校で子ども達がもっと楽しく学ぶための、また健全育成につながるための一つの提案でもある。