「人に伝える」-「第12回天心サミット」に出席し、「『茶の本』出版100周年記念事業を終えて」と題して、講演を行いました。

 「茶の本」は私が学生時代に日本人が読む100冊の本の中に入っていたと思います。学生時代に少し読み始めたことがありますが、途中で止めてしまいました。正直言ってよく分かりませんでした。しかし、改めて「茶の本」出版100周年記念にちなんで、また、天心先生が福井の方であるという気持ちが私の心の中に強くありまして、数年前に何とかして努力し読みきりました。実際読むだけでしたら一晩で読める本です。

 この「茶の本」の初版本を平成18年2月に福井県で購入しました。当初、この初版本を探すように職員に伝えたところ、「そんなものはありませんよ、あるとしたら物すごく高いですから」との返事が返ってきましたが、「ともかく、一度世界をくまなく探すように」と指示したところ、程なくして見つけることができました。平成17年には由利公正による五箇条の御誓文の草稿を2千数百万円で購入しましたが、これに比べれば本当に通常に手に入る程度の価格でした。
 この本を開くと、一番前のページには、鉛筆で所有者の氏名だと思われる女性の名前と、コネチカット州の町の名、そして「1908年1月20日」と筆記体の文字が読めました。本とはたくさんの人に読まれ伝えられて、今の時代に繋がっているのだなぁと改めて感じました。

 こういうことを進めている理由は、やはり子供たちのために、郷土の偉人である天心先生の偉大な業績、素晴らしさを分かって欲しい、自信と誇りを持って欲しいとの趣旨からです。勉強やスポーツもいいですが、意欲、熱意が最も大事ではないでしょうか。

 岡倉天心の両親はともに福井県出身で、父・覚右衛門は、海外貿易に早くから着目していた福井藩の命を受け、横浜で特産品の生糸絹袖等を扱う貿易商「石川屋」を開設した、いわば福井県東京事務所長のような方でした。
 天心は幼い頃から、乳母「つね」から口癖のように「左内先生はそんなことはなさいませんでした」と聞かされ、ひょっとすると自分は本当は左内先生の子供ではなかろうかとさえ幼な心に思っていたということを、澤村龍馬先生や新井恵美子先生が著書で紹介されています。
 また、自筆履歴書には「旧福井藩士」と記載していたが、この履歴書は現在所在が不明とのことで、これを探すのもロマンがあるかもしれません。

 さて、私はホームページにエッセーを掲載していますが、その中から天心に関連したものを2つご紹介します。
 まず、平成16年5月に、「茶の本」を読んで印象に残った箇所を掲載しました。
(訳文は、岩波文庫の「茶の本」に掲載されている村岡博氏によるものです)

おのれに存する偉大なものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。(第一章)
Those who cannot feel the littleness of great things in themselves are apt to overlook the greatness of little things in others.

 自分に対する長所や自信について客観的に物指しをあてて見れない人は、他人のすぐれた点を小さく見てしまい、正しい評価ができなくなる。自分を過大視していると、他人を過小視しかねない。西洋は日本が平和な文芸にふけっている間は野蛮国だとみなしていたにも関わらず、満州で戦争してロシアに勝ったら文明国だといっているのは、その良い例だと天心は言っています。

真理は反対なものを会得することによってのみ達せられる。(第三章)
Truth can be reached only through the comprehension of opposites.

 物事の本質は、反対のものを理解することにより到達することができるという意味であり、相対性の関係において対象を正しく評価できるということである。

この世のすべてのよい物と同じく、茶の普及もまた反対にあった。(第一章)
Like all good things of the world, the propaganda of Tea met with opposition.

 昔のヨーロッパでは、紅茶などのお茶は、女性が頂くと醜くなる、男性は背が低くなるのではないか、衛生上良くないと反対をされて、なかなか普及しませんでした。それが粘り強く皆さんが普及をされ西洋でも広まった。今日の日本の茶道も様々な歴史を経て現在があるわけです。反対にあうからそれが必ず良いことだとは言えないのですが、なかなか良いことは直ぐにはイエスとは言ってもらえないものである。天心は参考になることを言ってくれたので、政治の教訓にもしたいと思います。

わが国の沙翁近松は劇作の第一原則の一つとして、見る人に作者の秘密を打ち明かす事が重要であると定めた。(第五章)
Chikamatsu, our Japanese Shakespeare, has laid down as one of the first principles of dramatic composition the importance of taking the audience into the confidence of the author.

 県外の方はご存知なかったかもしれませんが、近松門左衛門は福井の出身なのです。浄瑠璃でもドラマでも、次に何が起きるか見ている人たちは何となく予想できるから、落ち着いて展開を楽しむことができるのです。今日は茨城県からもお出でいただいていますが、あの水戸黄門も最後にどうなるか分かっているから面白いのです。つまり、広く芸術や文化には作る人と受ける人との間に約束事があると言えます。お茶も客人と主人との間に暗黙の約束事があります。

 2つ目のものは平成16年12月に掲載したものです。横山大観先生が出演された「あの人に会いたい」というNHKドキュメンタリーの再放送を見た感想を紹介しています。
 大観の目から見た天心の人物像がテーマになっていました。天心先生は大観先生にどんな事を教えられました?」と何度も質問するのですが、「あまり細かいことはおっしゃらなかった。大きな事しか言わない。しかし天心先生は立派な素晴らしい先生だった」と同じ答えをされるのです。他のお弟子さんには細かく技術を教えられたということを、別の機会に聞いたことがあります。天心は、その人に合わせて教育をされていたようです。
 また大観は「芸術、商業、政治、学問も人による。人間ができていなければ、芸術はできない」、「自ら顧みて千万人といえども我ゆかんという気迫がなければならない」、「芸術も政治も人間が、人格ができていなければならない」とも述べていました。このことは天心先生の教育と関係があるのかもしれません。

 今日のお話をするため、改めて「茶の本」を走り読みしました。すると以前に感じたところとは別の箇所に、よい言葉がいくつもあると感じました。そこにこの本の多彩さと奥深さがあるのでしょう。
 天心の素晴らしさは言葉です。言語の力があると思います。「茶の本」も非常に力強い言葉で書かれており、〜ではなかろうか、といったあいまいな表現はありません。断言調で書かれているので、読んでいて気持ちが良く、また元気が出てきます。
 これは一つは英語のパワーによるものでしょうが、それだけでなく、天心は若い時に漢学(漢文)の両方を勉強していました。天心の行動を見ますと国際性、あるいは英語を駆使してあらゆる事を訴えると同時に、その中に心の広さ、懐の広さをいろいろな所に感じられるのは、やはり東洋の漢学の素養があったからではないかと素人ながら思います。

 さらに天心のもう一つの素晴らしさは、言葉の力を使って行動したということです。良いと思った事を実行したのは非常に素晴らしいことです。なかなか普通の人にはできないと思います。その行動力の中で特に大事なのは教育の熱意です。誰かを良くしてあげようという、人に助言する力が優れていたのではないでしょうか。
 話を現実にもどしますが、先に行われた全国学力テストで福井県は最上位でした。これからの教育も情熱を込めて、天心のように力強く、内向きにならず絶えず外向きに、天心先生の思想を引き継ぎたいと思っています。

(19.10.28談)

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